第24回平遥国際写真祭「日常与反常」参加

9月19日から23日に開催された、第24回平遥国際写真祭において、「日常与反常」のグループ展に参加しました。

私の作品は「A Flower on the Rock」で、7mの壁に展示。今回、著名かつ優れたキュレーターのもとで、中国の素晴らしい作家の方々と一緒に展示できたことは、非常に得難い経験となりました。

以下、芸術グループ展全体のステートメントを記載します。原文はこちら

2024 第24回 平遥国際写真祭「日常と非日常」(写真祭推薦展示)

 キュレーター:海傑

 参加作家:李德祯、李铭洋、朱晓丹、李博琰、杨立群、廖天成、成芸菲、郝月含 、大村祐大 

 写真は現実を切り取ったもの、あるいは現実の影とみなされ、現実そのものと等価なものとなっている。人々の写真への信頼は、この等価性の概念を信じることから生じている。しかし実際には、この概念は「作者」を切り離し、カメラは自ら現実と向き合うことになる。その結果、主観的な選択・捕捉において、主観や個人の特徴が無視された、現実の不条理で非日常的な表現に変わってしまう。

 写真では、日常生活の平凡な側面を考えるために立ち止まる人はほとんどいない。その代わりに、彼らは一貫して劇的な瞬間、つまり非日常的な瞬間を追い求める。写真は、現実の物語の断片として圧縮され、高められる。

 もちろん、別の状況も存在する。現実そのものが、人々の珍しいものを見ることへの欲求を満たすために変容しており、奇妙で非日常的なものを捕らえ、さらにはそれを演じることが、写真の社会的相互作用の日常風景となっている。非日常が日常となっているのだ。

 AIが生み出すテクノロジーが急速に私たちの生活に溶け込む中、写真は新たな問いに直面している: 写真の本質とは何か、写真と私たちの生活との関係とは何か。こうした問いの出現は、代替メディアの出現に基づくものでもある。

 間違いなく、私たちは人生を理解し観察するために、このメディアを今でも深く愛し、頼りにしている。この写真展の主役は、主に若い世代の写真家たちである。この写真展を通して、私たちは日常生活の中にある非日常性を発見することができよう。日常の中にある非日常的な凍りついた瞬間、時間と死、写真イメージと文献、越境する写真言語とシミュレーション、イメージの中にある非凡な詩的性質……。

(翻訳:大村)